
厳密に言うと、昨年の映画ですが、僕にとっては今年観たナンバーワン映画になりそうです。ちなみに、昨年のナンバーワンは「夜明けのすべて」か「僕が生きてる、ふたつの世界」のどちらかです(どちらも素晴らしかった)。私が介護・福祉系の映画しか観ていないわけではなく、むしろそれ以外のジャンルの方が好みではあるのですが、昨年から今年にかけて、介護・福祉にまつわる日本映画の良作が続出していると思います。決して24時間テレビ的な感動ポルノではなく、現実の問題や課題に沿った考えさせられるテーマを扱いつつ、魅せる作品としても完璧に仕上がっています。映像や演技、脚本など、どれを取っても申し分ない映画なのです。
「ロストケア」は家族介護の苛酷さと尊厳死、そして家族を救うために高齢者を大量殺人した介護士に正義はあるのかをテーマとしています。かつて父親を介護していた犯人が「穴に落ちてしまった」と表現する、親の介護で経済的にも精神的にも身動きが取れなくなってしまった状態には、誰もが陥る可能性があるのです。現に犯人を裁く立場であった検察官さえも、認知症の母がいて、父を孤独死で亡くしています。もし自分が穴に落ちてしまったとき、僕たちは外の世界で生きていたときと同じことを言い、行動できるでしょうか。2013年が初版の小説をもとにしているにもかかわらず、今も現実味を持って私たちの前に立ち現れてくるのは、もしかすると日本の高齢社会にとっての永遠の課題なのかもしれません。
現代世界における倫理的、もしくは法的には、加害者が絶対的に悪であることは間違いありません。そこを前提に考えても、犯人の独白が進むにつれて彼にも一理ある、いや共感すら生まれてしまうのです。物ごとを裏と表から見たときに、これほど見え方が違うということでもあります。彼が正しかったのかどうかを裁くことが私たちに求められているわけではなく、自分はどう考えるのかが問われているのです。そのとき鍵となるのは、映画の冒頭に登場する「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」というキリストの黄金律です。犯人は自らの家族介護の経験に基づき、何とか家族介護の呪縛から解き放たれたいという家族や迷惑をかけたくないという高齢者の気持ちを汲んで、人にしてもらいたいと思うことは何でもしてあげたのです。だからこそ、法廷で彼は、殺したのではなく「救った」と言い放ったのです。
構図的には、2016年に起こったやまゆり園の殺傷事件に似ていますが、似て非なる点としては、自分自身が家族を介護していたこと、そして父親から殺してほしいと言われた経験があることです。犯人は相手(高齢者)には生きる価値がない、生きていても仕方がないと自分勝手に決めつけたわけではなく、自分は苛酷な家族介護の穴に落ちた者の代弁者であり、父の願いを叶える代理人でもあったのです。もちろん、人それぞれ、その時々で思うことは違えど、同じ穴に落ちた彼にとっては、そのときの家族や介護を受ける本人は誰かに救ってもらいたいとしか思えなかったのです。社会が救ってくれないならば、自分が命をかけて救うしかなかったのです。