私たちはいつも小さいことで悩んでる

8月からスタートした日曜日クラスが無事に終了しました。高校生の生徒さんも多く、年齢の幅の広いクラスでした。性別や年齢の違いを超えて、一緒に同じことを学んでいくのが介護職員初任者研修の楽しさのひとつだと思います。高校生のひとりは、「最初は同年代の生徒がいるか心配したけど、いざ始まってみると、自分の親やさらに祖父母と同じような年代の人たちと一緒に話せて楽しかった!」と言っていました。その逆も然りで、自分の子どもや孫のような同級生と共に学ぶことも刺激的です。自分たちにはない知識や発想、経験、そして感性を互いに感じながら、同じ時間と場所を共有することなんてこと、長い人生において、これまでもこの先もほとんどないはずです。

 

授業が終わった後、高校生の生徒さんのひとりが、今の悩みをクラスメイトに打ち明けていました。文化祭が近づいてきているのに、先生も周りの友だちも人任せで、このままだと上手く行かないのではと心配しているとのこと。文化祭でお店を出すようですが、材料の仕入れやそれにかかる経費などを考えれば考えるほど、その生徒さんは不安が募っていくのですが、周りは真剣に取り組んでくれず、自分ひとりが責任を負わなければならないのではないかと不安になるそうです。周りの大人の生徒さんたちは、その話を聞いて、「あなただけに押し付けるなんてかわいそうに」と共感したり、「先生にもう一度相談してみようよ」とアドバイスをしたりしている光景を見て、何かいいなと感じました。

 

少し冷静な目で見ると、そのときだからこその悩みや不安があって、たとえそれは親やそれ以上の年齢の大人にとっては取るに足らない(何とでもなるような)ことであっても、当事者にとっては苦しくて泣いてしまうような大問題なのです。私たちは誰もがそういう苦悩や不安を何とか乗り越えて(通り過ぎて)大きくなってきたのです。だからこそ、「そんなこと大したことじゃないよ」とか「適当にやればいいんだよ」などと受け流してしまうことをせず、その高校生の身になって一緒に考えてあげることができるのでしょう。それが大人になるということでもあるはずです。

 

 

ただ、よく考えてみると、大人になった私たちにとっても、今ぶち当たっている問題は、さらに年齢を重ねたときには大したことではないと思えるのではないでしょうか。どう考えてもにっちもさっちも行かないと行き詰ったり、もうこれ以上生きていられないと感じるような難題であっても、入れ子の構造のように、もう少し先の自分から見たら、小さな問題になっている可能性は十分にあるはずです。つまり、100年という長い人生を遠くから見たとき、私たちはいつも小さいことで悩んでいるのです。