ロートレック展に行ってきた

今年は湘南ケアカレッジもきれいにお盆休みが取れたので、新宿のSOMPO美術館で開催されている「ロートレック展―時をつかむ線」に行ってきました。先日、訪れた「マティス展」のマティスは切り絵で有名なのに対し、副題の「時をつかむ線」からも分かるとおり、ロートレックは線の巧みさで人物を描いた画家です。素描作品から出版物、ポスターなど、どの作品を取って見ても、ロートレックは独自の線で世界が切り取られています。今回の展覧会には240点のロートレック作品が展示されていました。ロートレックは36歳で若くして亡くなるまでに、1日1点のペースで描き続けたそうです。描き続けたことが彼の才能であり、その情熱を支えていたのは、彼に障害があったからだと考えると何とも言えない気持ちになります。

ロートレックは19世紀末を代表するフランスの画家です。ロートレック家は伯爵家であり、普通に育っていれば優雅な生活をして人生を謳歌していたはずですが、ロートレックは13歳のときに左の大腿骨を骨折し、14歳のときは右の大腿骨を骨折します。その影響で両足の発育が止まり、成人したときの身長は152cmしかなかったそうです。近親婚による骨粗しょう症が原因と言われています。その姿に愛想を尽かした父親はロートレックを疎むようになり、不遇で孤独な青春時代を送ることになります。そうした心の屈折がロートレックを一心不乱に絵画の世界に向かわせ、自らの障害で差別を受けていたことが娼婦や踊り子といった夜の世界の住人たちへの強い共感につながったのは確かです。

ロートレックは自分の姿かたちを嫌悪していたのか、自画像は一枚も見当たりませんでした。写真はあっても、自ら筆を取って自分の姿を描くことはしなかったのでしょう。しかし、ロートレックの描く夜の世界の人物たちは実に個性的で、当時のムーランルージュなどの歓楽街の熱気が伝わってくるようです。彼の絵からは、伯爵家の出身であるようなスノッブさも感じませんし、かといって差別された障害者のルサンチマンも見えず、絵(スケッチ)を描くことが大好きでそれを続けてきたら、こんなに素敵な作品が描けるようになったというような、爽やかさやさっぱりした美しさが現れているのが不思議です。

「人間は醜い、されど人生は美しい」

 

 

ロートレックが母にあてた手紙に書いた言葉です。ここでいう人間とは、自分の姿かたちを示しているのでしょうし、その自分を疎んだ父親や差別した人たちのことも表しているはずです。それでも一人ひとりが生きている姿は美しく、そんな人間が集まって織りなす人生もまた美しい。また、「醜さの中に必ず美しいものが隠されている。誰も見つけていないところにその美しさを見つけるのは実に感動的だ」と彼は言うのです。自らの醜さだけではなく人間の醜さと向き合いつづけ、その中に美しいものを見つけて描き続けたのがロートレックという画家なのです。