障害者と障がい者

実務者研修の通信添削課題には質問用紙がついています。テキストを読めば(見れば)答えはそこに書いてあるので、ほとんどの生徒さんは質問用紙を使うことはありませんが、たまにふとした疑問を書いてくれる生徒さんがいます。先日いただいた中で、「テキストによって、障害者と記されていたり、障がい者となっていたりしますが、何か違いはあるのですか?」という質問がありました。質問用紙のスペースだけでは十分に説明できそうもありませんし、とても良い質問なので、本人様だけにお答えするよりも共有した方が良いと思い、この場を借りて返答させていただきますね。

 

 

結論から申しますと、「障害者」と記すべきであって、「障がい者」とはすべきではないということです。「障害者」が正しく、「障がい者」は正しくありません。

 

あれっと思われた方もいるかもしれませんので、順を追って説明していくと、「障がい者」という言葉を使う人の理解としては、障害の害は、害虫とか害獣のように、人間にとって害をもたらす存在という意味に使われるもので、障害者は害ではなく、害という漢字を使うのは相応しくないというものだと思います。この説明だけを聞くと、そうだよね、障害者は害じゃないし、せめて漢字を開いてひらがなにすれば一見問題がなくなるのではと考え、「障がい者」や「障碍者」と記す動きが今から20年近く前にありました。ひらがなにしても意味は同じなのですが、とにかく害という漢字を使わないことで、なめらかな社会を目指そうとしたのでした。

 

ところが、本当の問題はそこにはありませんでした。「障がい者」や「障碍者」と記していた人たちは、障害の定義を大きく間違っていたのです。我が国の改正障害者基本法には、障害者はこう定義されています。

 

「障害及び社会的障壁により、継続的に日常生活又は社会生活に相当な制限を受ける状態にあるもの」

 

分かりやすく説明すると、障害者とは、目の前にある何らかの障害によって生活に制限がある人のことを指すのです。たとえば、昨年、私は足首を骨折しました。数か月は左足をまともに着地してはいけない状態でしたので、湘南ケアカレッジの教室がある4階まで手すりを使いながら、エッチラオッチラとゆっくりと登らなくてはいけない生活を送りました。階段という障害があるばかりに、スムーズに教室に辿り着くことができなかったのです。私自身が障害者なのではなく、階段が障害なのです。また、目の不自由な人が道端に置いてあった自転車にぶつかってしまった場面に遭遇したことがありますが、その方が障害なのではなく、自転車という障害があったということです。つまり、障害者とは、(目の前に)障害のある人なのです。

 

私たちはどうすればその障害を取り除くことができるのか、もしくは取り除けないとすれば、他にどのような方法や手段で目的を達することができるのかと考えるべきなのです。ケアカレが入っているビルにエレベーターが設置されたら問題は一気に解決するでしょうし(笑)、手すりが付いているだけでも私は助かりました。また、視覚障害者の問題に関しては、たとえ一時でも自転車は道路上に放置しないことが大事ですし、もしされていたら少し動かしてあげても良いでしょう。視覚障害者が歩いていたのに気づいたら、そっと腕を差し出して誘導したり、自転車が前方にあることを伝えても良いかもしれません。

 

 

障害者の定義がはっきりすると、目の前の「障害」を「障がい」や「障碍」とすることに意味がないことが分かると思います。むしろ、「障がい」や「障碍」と記す人こそ、心のどこかで障害者自身を障害だと捉えているのではないでしょうか。「障がい」や「障碍」と記すことに対して、強烈な違和感を抱いた人たちの違和感はそこにありました。厳しい言い方かもしれませんが、障害者に対して配慮して、「障がい」や「障碍」としてみたつもりでも、実は自身の偏見や差別心をさらけ出してしまっているのです。物知り顔で「障がい」や「障碍」と書いている、お偉い大学の先生方や法人や公的な機関の代表の方々には、「もう少し勉強してください」と言いたいですし、胸に手を当てて自分の偏見や差別心に気づいてもらいたいと思います。言葉を換えても、私たちの心や考え方が変わらなければ、社会は何も変わりません。大切なことは、誰かの目の前にある障害に私たちが気づくことです。