お盆休み中に、卒業生のYさんがケアカレをたずねてくれました。5年前に介護職員初任者研修を受けてくれた時、岡山県に住んでいましたが、実家の大和から通っていた生徒さんです。なぜそこまでしてくれたかと言うと、お母さんがケアカレの卒業生だからです。その後、岡山に戻って、今はデイサービスで働いているそうです。ケアカレナイトのイメージイラストを描いてもらったり、私の田舎の岡山県津山市と彼女の住んでいる新見市が近かったりすることもあり、縁があるのか、離れていても何度かメールのやり取りをしていました。お盆休みや年末年始など、ちょうと私が岡山に帰省するとき、彼女はこちらに帰ってきて、私がこちらに戻ってくると彼女は岡山に帰ってゆく、そんな行き違いが生じるのですが、今年のお盆休みは台風が直撃するとのことで1日早く戻ってきたこともあり、こちらで一緒に食事をすることができました。
絵を描くことも好きなのですが、彼女はモノづくりも好きで、デイサービスではその特技を生かして、利用者さんたちとレクレーションで工作をしているそうです。彼女が考案したのは、飲んだ後のヤクルトの容器を使って、そこにカラフルな糸を巻き付け、手足や目鼻をつけて、人形をつくるレクです。たとえば、カエルだったり、地蔵さんだったり、白クマだったり、季節ものとしてはハロウィンやトナカイ、雪だるま、ひな祭りの人形だったりをつくるのです。本来は捨てるはずだったヤクルトの容器を再利用するところも面白いと思いましたし、材料費もほとんどかからず、しかも認知症の利用者さんも、介護度が高い利用者さんでも、意外と誰もが参加できるのも良いですね。背景なども工夫して作り、完成した後は、利用者さんの目の高さに合わせて飾っておくそうです。
利用者さんにお願いをしたり、上手くできたときの声掛けなども大切だと話されていました。その話を聞いたとき、ふと、ケアカレの原点でもある、「褒める・認める」のことを思い出しました。講師会をしばらく開催していないこともあり、私たちの理念や大切にしたいことを直接、先生方に伝えることを休んでしまっている気もします。もちろん、生徒さんたちのアンケートや卒業生さんたちの声からも、湘南ケアカレッジが始まったときの熱い想いを失うことなく、ここまでやって来られていることは分かっています。それでもやはり、こうして形にして伝えたり、改めて見直してみることは大切だと思うのです。
実は、うちの息子ももう高校1年生になりました。小さい頃は、ちょっとしたことでも褒めたり、認めたりしていましたが、高校生にもなると、むしろできるのにやっていないことばかりが目に付くようになります。お菓子の袋や飲み終わりのペットボトル容器を片付けないでそのまま置きっぱなしにしてあったり、自分で食べた食器を洗わずに流しに放置してあったり、などなど、何度言っても習慣にならず、言われるまでやらないことばかり。大人として見るようになったと言えば聞こえは良いのですが、褒め・認めができなくなったと言われたらそのとおりです。褒め・認めがなければ、人の心を動かすことはできないにもかかわらず、どうしてもできていないことから入ってしまいます。
初心に戻ることの大切さは、変わっていないようで変わってしまっている自分の変化に気づき、大事なことだけは変わらないように気をつけ、取り戻すことにあります。湘南ケアカレッジの教え方のサイクルは、できていること・できていないことを見分ける→できていることを褒める・認める→できていないことを教え、やってみせる→やってもらう→褒める・認める、になります。ひとつのサイクルの中に、褒める・認めるが2回も出てくるのです。このサイクルのどこか1つでも欠けてしまうと、教えたいことは上手く伝わらなくなってしまいます。私たちは教える立場にある者として、時として、自分はこのサイクルを回せているかどうかを自己点検してみるべきですね。
岡山から帰ってきてくれたYさんと話していて、そんなことを思いました。彼女はこのモノづくりレクを多くの人たちに広めたいと願い、レパートリーを増やしつつ、いつか湘南ケアカレッジの教室でワークショップを開催したいと言ってくれました。5年の歳月が流れても、住んでいる場所が離れていても、変わらずケアカレに遊びに来て、頼ってくれて嬉しい限りです。来年こそぜひワークショップをやりましょう!と意気込みを確認して、彼女は私と入れ替わりで岡山に帰って行きました。