安楽死をテーマにしたフランス映画ということで、劇場に観に行ってきました。いかにもフランス映画という淡々としたテンポで進み、途中で睡魔に襲われたりもしましたが(笑)、後半から物語が展開して核心に迫っていくところはさすがでした。こういった題材を扱う映画は、どうしても主義主張というか、どちらが正しくてどちらが正しくないという見方が映し出されてしまいますが、この映画はかなりフラットに描写されています。ただそこで起こったことをそのまま描いているだけで、最終的にどう考えるかは鑑賞者に任せるというスタンスです。それでもあえて言うならば、(ネタバレになりそうですが)安楽死はすべてうまくいったのですが、果たしてそれで良かったのでしょうか?という問題提起だと捉えることができますね。
実はこの映画の原題は、「Everything Went Fine」、そのまま訳すと「すべてはうまくいった」なのですが、日本のタイトルは「すべてうまくいきますように」となっています。似ているようで全く違う意味になってしまうのに、なぜこのような意訳をしてしまったのか考えてみると、おそらくは「すべてはうまくいった」ですと結末が分かってしまう(事実上の安楽死は成功する)からではないでしょうか。タイトルからすでにネタバレになってしまうのを避けたかったのだと思うのですが、この映画の主旨は「うまくいくか」「うまくいかないか」にはないと私は思うのです。個人的には、下手な小細工をせず、「すべてはうまくいった」で良かったのです。
それはさておき、安楽死について考えさせられる映画であったことはたしかです。小説家のエマニュエルの父が脳卒中で倒れ、左半身の自由が利かなくなったことで安楽死を望むようになります。フランスでは安楽死は違法なので、隣国のスイスに渡ってから実行に及ぶことになります。父は左半身は動かず、車いすで生活を強いられているのですが、寝たきりという状態ではなく、話すことも自分で食べることもできます。孫の演奏会を聴きに行ったりすることもできます。ですから、安楽死というよりは、尊厳死に近いのではないでしょうか。父の言葉に何度も出てくる「このような姿では生きていたくない」ということです。
この尊厳死の対極にあるのが、延命だと私は考えます。本来の人間という生物の寿命を超えて、医療や科学の発達によって、命を長らえさせることが延命です。本人の意思があるかないかによって延命の是非は違ってくると思いますが、いずれにしても尊厳死と延命は正反対のベクトルを向いているのです。
私はどちらかというと尊厳死については賛成、本人の意思のない延命については反対の考えでしたが、この映画を観てみるとそんなに単純なことではないことも分かります。日本では選択の自由がないという意味で、尊厳死も認められるべきだとは思いますが、認められたら認められたでより問題は難しくなるでしょうし、実際に尊厳死を選ぶ人は少ないのではないでしょうか。それはこの映画に何度も登場するように、「人生は美しい」からです。
尊厳死でも延命でもない、その中間あたりにあるはずの自然死が理想であると私は思います。中間地点よりも前でも後でも、それは人間のエゴなのです。前は自分のエゴであり、後ろは医療者や介護者、家族のエゴです。自ら命を絶つのではなく、最後まで生きようとして、その中で人生の美しさを味わい、自然な形で死んでいく。それを少しだけサポートするのが、家族であり、介護であり医療なのではないでしょうか。