卒業生さんが事務所に顔を見せに来てくれました。デイサービスで介護の仕事を始めてまだ数か月ですが、1月のカレンダーづくりを任されたということで、原案のようなものを見せてもらいました。そこには七福神の宝船のイラストがあり、回文が添えられていました。
「長き夜の 遠の眠りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな」
(なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな)
回文とは上から読んでも下から読んでも同じ読みになる文章のことです。宝船が描かれた絵の横に、この「長き夜の~」の文章が記されたものを枕の下に置いて寝ると、良い初夢が見られるとされてきたそうです。声に出して読んでみると、心地よいリズムがあって、始まりと終わりという概念が消えて、永遠にループしそうな不思議な感覚です。そして、新しい仕事に取り組んでいる卒業生を見て、嬉しく思いました。
仕事って何でしょうか?学生時代を終えて、就職活動をしているとき、または実際に仕事をし始めたとき、私の頭の中でこの問いがずっと巡っていました。これまでは言われたことを言われたとおりにこなしたり、新しい何かを学ぶことで生きてこられたのに、いわゆる社会というものに放り出された途端に、お金を稼ぐために仕事をしなければならなくなります。自分という人間は何も変わっていないのに、急に食べていくためにという名目のもと、仕事をしてお金を得なければならなくなるのが不思議に思えました。その当時は、仕事って何というよりも、なぜ仕事をしなければならないのかと問うていた気がします。もちろん、答えなんて見つかりませんでした。
それでも、十年、二十年と仕事を続けていると、それは永遠のループのように感じられてきます。朝起きて、仕事をして、寝て、朝起きて、仕事をして、寝る。たとえ新しいことに挑戦していても、基本的なループは変わりません。しかも仕事をする時間として、人によって異なりますが、1日24時間のうちの8時間から12時間ぐらいが費やされることになります。1日の3分1から半分の時間を仕事しているということは、つまり人生のそれぐらいの時間を仕事していると考えても良いでしょう。それは貴重な時間です。
だからこそ、好きなことを仕事にして生きていくというキャッチフレーズが流行ったこともありましたし、誰もが嫌なことに人生の大半の時間を使いたくないはずです。好きで楽しい仕事が良いのは当たり前です。ただ、どうしても仕事に好きや楽しさだけを求めてしまうと、行き詰ってしまうことが多いはずです。私は昔、ビリヤードが好きでビリヤード場でバイトをしたことがありますが、あれほど苦痛な仕事はありませんでした。目の前にビリヤード台があるのに、プレイすることはできず、接客やお会計、台の掃除がメインの仕事でした。ビリヤードが好きなことと、ビリヤード場で働くことは全く違ったのです。どれだけ好きな仕事に就けたとしても、楽しい時間は一瞬であり、地味な仕事を積み重ねる時間の方が多いはずです。好きや楽しいは一瞬の感情でしかないのです。
仕事とは、自分にとって意義や意味のあることをすることだと私は思います。これをすることで誰かが喜んでくれる、幸せにすることができる、社会を良くすることができると思えることが一番大事なのではないでしょうか。綺麗ごとではなく、自分の仕事に意義や意味を感じられなければ、延々とループする仕事をずっと続けることは少なくとも私にはできません。先日、全身性障害者ガイドヘルパー養成研修が終わり、1日中外を歩き回って疲れたであろう生徒さんたちが皆笑顔で帰って行ったとき、良い仕事を10年続けられて、私は幸せだなあという感慨が湧いてきたものです。