先日、祖母の3回忌を行うために、田舎の岡山県に帰省しました。一泊二日で戻らざるを得なかったのですが、夜は両親と中華料理を食べながら、久しぶりにゆっくりと話すことができました。思い返してみると、毎年、お盆休みとお正月には家族で帰っていたのですが、コロナ騒動が始まって以来、向こうの世間体などに気を遣ってしまい、一度も帰省していなかったことに気づきました。私たちも含め、孫の顔を見せに実家に帰るという習慣や文化が失われてしまった家族が日本中に多くあるのではないでしょうか。それだけを取っても、今回の騒動は罪が深いと思いますし、まだ手遅れではないので元に戻していきたいと思いました。
両親と語り合う中で、介護施設の話になりました。両親は幸いにも今のところ自立して暮らしていますが、私の母の叔母の夫(ややこしくてすいません)が病気に倒れ、介護が必要になり、相談を受けた私の両親が施設を探して歩いているのです。私の母の叔母の夫は今、介護老人保健施設にいて、そろそろ出て行ってもらいたいと言われているのですが、本人は全く自力で身体を動かすことができません。自立して生活をしたいという想いは強く、リハビリも頑張りたいと思っているのですが、現状として自宅復帰は難しい。特別養護老人ホームを見つけるか、それとも有料老人ホームに入るかという選択肢しかありません。月々にかかる費用もピンキリ。リハビリができる施設はなく、入りたくても入られない入居待ちの施設を希望していることもあり、しばらくは今の老健にいさせてもらうしかないようです。
一番の問題は、いったん施設に入ってしまうと、おそらくもう二度と自宅には戻ってこられないでしょうし、面会もほとんどできないため、会うことさえ叶わなくなってしまうことです。老々介護となるのを分かっていて自宅に戻るか、もしくは今生の別れとなるのか。過疎化しつつある地方に住んでいる高齢者は、究極の二択を迫られているのです。かつてのように、介護施設が外の世界へと開かれていれば、たとえ施設に入ってしまっても、家族ともいつでも会うことができました。好きなときに好きなだけ話をすることができました。ところが、下手をするといまだに家族(外部者)の面会禁止を続けている施設もあり、良くて週に1回とか、1回の面会は15分までとかいう謎ルールを設けている施設がほとんどです。
家族が面会に来なくなり、外部の人たちとの交流がなくなったことで、利用者の状態が分かりやすいぐらいに落ちてしまっていることにスタッフは気づいているはずです。家族との会話や外の世界からの刺激が、どれだけ利用者の支えとなり、生きる動機となっていたか、改めて気づかされたのではないでしょうか。スタッフが話し相手になって差し上げることも解決策のひとつですが、やはり家族や近しい人たちとの交流に優るものはありません。
なぜ私たちは、このようなことになってしまったのでしょうか。職員たちは毎日、外から施設内に通勤し、また外の世界に戻ってを繰り返しているのに、家族は外から入ってはならない理由はありますか。職員は何かから守られていて、家族は穢れているということでしょうか。職員がいないと介護ができないので仕方ないとか、できるだけ外部者を入れないことで感染確率を下げるとか言うかもしれませんが、本当にそうでしょうか?ウイルスは外から持ち込まれているのでしょうか?周りに陽性者が誰もおらず、利用者から(だけが)発症した孤発例など世界中に山ほどありますよ。
もう誰が持ちこんだとか、誰からうつされたとか、そういう幼稚な発想はやめませんか?そもそも私たちの身体の中には3兆個を超えるウイルスがすでに存在しています。他の動物だって同じ。もうすでに自分の身体の中にあらゆるウイルスは存在していて、それが周りの環境が変わることで(寒くなったり、湿度が低くなったり、栄養状態が悪くなったりなど)、免疫バランスが崩れ、平衡状態を保っていたウイルスの中で特定のものだけが増殖し、それに身体の免疫系が反応して発熱したりするだけです。
人から人にウイルスが直接、たとえば飛沫や接触などによって乗り移って発症するなんてことはほとんどなく(ここまでは世界の常識になっています)、普段の生活の中で空気中から取り込んで、もともと自分の中にあるものが表に出てきているのです。家族間や仲間は同じ環境で生活しているため、あたかも近しい人たちの間で症状が伝染しているように見えるだけで、実は外的要因によってそれぞれが自ら発症しているだけの話です。今夏は寝ているときにクーラーの入れすぎで身体が冷えて、同じ寝室に寝ている家族全員が発症したケースも多く見られましたね。
目に見えないだけで、空気中や私たちの周りのあらゆるところにウイルスは存在しています。つまり、ウイルスにとっては、人間の体の中も外もないのです。宿主という生命体の中の方が生存しやすく、増殖もしやすいという性質はありますが、内と外の境界線はないということです。人間が勝手に内と外の境界線を引いているだけにすぎません。いわゆるカンセンショウタイサクのような、外のモノを内に入れないという考え方自体が人間の愚かさを示しているのではないでしょうか。家族との面会を制限することでウイルスを外から持ち込ませないなんて、まさに愚の骨頂です。厳しいことを書きましたが、今私たちが当たり前のように行っているカンセンショウタイサクがいかに人権侵害であり、差別的であり、どれだけの人々のQOLを奪ってしまっているのか、100年後の介護の教科書では語られていることを心から願います。