病めるときも

実務者研修の医療的ケアの授業の最後に、看護師の先生が生徒さんたちへのメッセージの中で「皆さん、幸せですか?」と問いかけました。自分が幸せでなければ、対人援助職として相手を幸せにすることはできないことを伝えたかったのだと思います。その後の打ち上げと称する飲み会にて、その裏話を聞かせてもらいました。

 

先生の勤める病院にて、ある看護師さんを採用するかどうか迷っていたとき、看護部長が「幸せですか?」と尋ねたころ、その看護師さんは迷った挙句、「幸せではないかもしれません」と答えたそうです。結局、その看護師さんは採用しなかったそうですが、先生はその問いかけは深いなと思ったという話です。先生や看護部長がその看護師さんに漠然と抱いていた、ピンと来ない感じの正体はそこにあったということですね。

 

その話を聞いて、別の先生が「僕も初任者研修の医学の授業の中で『自分が健康でないと良い介護や支援はできない』と話しています」とおっしゃいました。先生がここで言う健康とは、身体の健康でもあり、心の健康のことでもあると思います。医療や介護に携わる対人援助職は、心身ともに健康であり、幸せでなければならないのです。

 

そのやり取りを受けて、「そういえば、村山さんも毎月のお手紙の中にそのようなことを書いていませんでしたっけ?」とまた別の先生が私に話題を振ってくれました。自分が書いたことは意外と忘れてしまっており(笑)、その場では「書いた記憶があるような、ないような」とお茶を濁しましたが、あとから見直してみると、「ハッピーピープルメイクハッピーホース」のたとえを使って数か月前に書いていました!

 

介護職や看護職などの対人援助職は、利用者さんを健康で幸せにするために、まず何よりも自分自身が健康で幸せでいなければなりません。自分が健康ではないのに相手を支えることなどできませんし、自分が幸せだからこそ、相手を幸せにすることができる。つまり、施設や病院の運営的な視点としては、心が健康で幸せなスタッフを採用することから始まり、今いる介護や看護に携わるスタッフを幸せにすることが、利用者さんや患者さんを幸せにする近道になるということですね。

 

それでも、と私は思うのです。介護職や看護職も人間ですから、幸せなときもあれば不幸せなときもあるはずです。健やかなときもあれば、病めるときもあるでしょう。楽しい時期もあれば苦しい時期もあるはずです。誰の人生にも良いことも悪いことも起こります。幸せではないとき、病めるとき、苦しいとき、対人援助職に就く私たちはどうすれば良いのでしょうか?そんなときでも、ほとんどの人たちは仕事を休むわけにもいかず、働き続けなければならないはずです。

 

私にも仕事で苦しい時期が何度かありました。たとえば、三幸福祉カレッジで働いた5年間のうち半分の2年半は、神奈川県内に20近い教室を立ち上げて回していく仕事を一手に引き受け、手が回らずにミスやアクシデントが多発し、上司からは責められて、部下には辛く当たらざるを得ない苦しい状況が続きました。事務所に戻ると周りは敵ばかりだと感じていました。早朝から終電まで、日曜祝日もなく働き詰めて、家に帰っても3時間ほどしか睡眠が取れず、心身ともに限界を感じていました。ヘルパー2級取得ブームが去り、横浜支社が解散したことをきっかけに私は解放されたのですが、あと少し長くあの状況が続いていたら、さすがに危なかったかもしれません。

 

あの2年半、私はどう考えても健康ではなかったし、幸せでもありませんでした。外から見てもそう思えたはずです。仲の良かった部下にも、「あの頃の村山さんはピリピリしていて怖かったです」とあとから言われたこともあるほどです。当時は仕事を辞めるという選択肢はなかったですし、とにかく目の前の業務に対応することだけで精一杯の毎日でした。あのときの私が「幸せですか?」と聞かれたら、「全然幸せではありません」と答えるしかなかったはずです。自分が幸せでなければ、相手を幸せにはできないよと言われたら、たしかにそうですねと口をつぐんだと思います。

 

不幸せで不健康で苦しかった、あの時期の私にも救いはありました。先生方には可愛がってもらい、困ったことがあれば優しく助けていただきましたし、私の心身の健康をいつも心配してくれる母親のような先生もいました。生徒さんたちと話すのも楽しかったです。大げさかもしれませんが、教室に行って先生方や生徒さんたちと関わる時間だけが唯一の幸せな時間でした。あの頃、私は幸せをもらっていたのです。

 

 

病めるときも、不幸なときも、苦しいときも、私たちにはきっとあるはずです。そんなときは、無理をすることなく、相手から幸せにしてもらって良いのではないでしょうか。介護や看護に携わるスタッフも、利用者さんや患者さんから元気にしてもらうことも多いはずです。それはお互いさまであり、一方通行でなくても良いと思います。そして、いつか自分が幸せで健康になったとき、今度は自分が相手にとっての幸せをもたらす存在になれば良いのです。