湘南ケアカレッジは今年度で10年目を迎えます。いわゆる10周年というやつです。おそらく先生方もそう感じていると思いますが、あっという間の9年間でした。約10年ってこんなに速く過ぎてしまうのというのが実感です。それだけ先生方と一緒に良い学校をつくろうと頑張ってきた、ということだと思います。この場を借りて、最大の立役者である先生方はもちろん、この9年間でケアカレに来てくれた介護職員初任者研修や実務者研修の卒業生さんには感謝します。ありがとうございました。
さすがに9年経つと、カーテンが壊れ始めたり、ベッドのキャスターを取り換えなければならなかったり、机の傷が目立ち始めたりしていますが、それでも毎日使っているわりには大きな破損や故障もなくここまでやってこられました。そもそも当校の物品は、中古を用いていることが多く、耐用年数でいうととっくに壊れてしまっても仕方がない面があります。にもかかわらず、ここまでもったのは、先生方や生徒さんたちが物品を大切に扱ってくれているからだと思います。
物は壊れてしまったら取り換えれば良い話ですし、形あるものはいつか朽ち果ててしまうものですが、物を大切に扱ったその結果、物が壊れにくいことはとても大切なことだと私は考えています。なぜかというと、物を大切にする気持ちは人を大切にする姿勢と共通していますし、また物が壊れないことは、人の心を壊さないことにつながるからです。
このことに気がついたのは、子どもの教育にたずさわっていたときでした。私が教室長になって2年目に、新入社員としてHさんが入ってきました。彼は理系の大学院を出たばかりの人懐っこい人物でしたが、私が気になっていたのは、彼がよく物を壊すことでした。もともと壊れやすいものであったり、壊れかけていたところをたまたまタイミングが悪かったケースもあったかもしれませんが、彼が触れたことをきっかけに物が壊れてしまうという現象がよくありました。
「すいません、これ壊れてしまいました」と彼が申し出てくるたびに、「仕方ないな」と返していたのですが、あまりにも彼ばかりが物を壊すので不思議に思って行動を観察してみると、ひとつ一つの行動が少し乱暴なのです。ドアを閉めるとき、えんぴつを鉛筆立てに差すとき、コピー機に用紙を入れるとき。彼はまったく意識していないと思いますが、私からするとやや乱雑なのです。大ざっぱな私でさえそう思うのですから、丁寧な人から見ればかなり雑に思えたかもしれません。そうした積み重ねがきっかけとなり、ある瞬間に、物が壊れるのでした。もう少し優しく置く、もう少し丁寧に持つ、もう少し待ってから閉める、などができれば良いのにと思いました。
物が壊れるだけなら仕方ないと思っていましたが、しばらくして問題はそこではないことに気づきました。彼が入社して半年ほど経った頃から、「H先生にこんなことを言われた」、「H先生にこんなことをされた」など、子どもたちからHさんに対する苦情が出るようになりました。子どもたちは好き嫌いに素直ですから、生理的に受け付けないとかそういう先生に非がない場合は別に考えなければならないのですが、よく話を聞くと、彼の方に非があるのではと思うことが増えてきました。身体を触るなどはもちろんタブーですが、それ以外にも、彼は彼なりの論理や伝え方で生徒に話していても、その言葉や行動が子どもたちの心を傷つけてしまっていることが多かったのです。
私はそこで、彼が触れる物がよく壊れる現象と生徒さんたちの心が壊れる現象が結びついたのです。なるほど、乱暴に接すると物も人の心も壊れるのだと。そのことを勇気を持って彼に伝え、彼も理解してくれて、まずは物を大切に扱うことから始め、少しずつですが生徒からのクレームも減ってきました。彼とは数年しか一緒に働けませんでしたが、それは私にとっても彼にとっても大きな気づきだったと思います。
人のこころというのは見えにくいものです。素直に気持ちや感情を示してくれる子どもと違って、大人は本心を隠すことができますし、ウソをつくことができるのでより見えにくくなります。傷ついていてもそう言ってくれることは少ないですし、お互いに知らぬまま知らせぬまま、時が癒してくれることなど当たり前の日常なのではないでしょうか。人間同士が共に生きている以上、考え方や意見は異なるでしょうし、互いに傷つけたり傷つけられたりすることがあっても良いと私は思います。お互いさまです。それでも必要以上に人の心を傷つけることはありませんよね。自分が何かをして物が壊れてしまったときは要注意です。もしかすると、物だけではなく、知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまっているかもしれないというサインです。もう一度、穏やかな気持ちになって、たとえ相手が物であっても、優しく丁寧に接してみましょう。