命を使って何ができるのか?

11月のケアカレナイトは映画「ギフト」の上映会&松山さんの講演会でした。ケアカレオリジナルのポップコーンを片手に、皆で映画を観てその内容について語り合う新しい上映会のはずでしたが、機材トラブル(会場のプロジェクターから音が出ない)によって、全員に教室まで一旦移動していただくという事態に陥ってしまいました。往復30分も歩いていただくことになり、大変申し訳なく思うのと同時に、「ケアカレナイトで何度かお会いしたことのある人と話しができて良かったです」とおっしゃってくれる方もいて救われました。どのような局面においても、ポジティブな視点や態度を持つことで、他者を勇気づけることができることを教えてもらいました。

そんなこんなで、何とか湘南ケアカレッジの教室にて上映会を行い(「ギフト」の感想は以前にこちらに書きましたので省略します)、再び町田市民センターに向かってもらいました。そこで待ってくれていたのは、ゲストスピーカーの松山博先生でした。松山さんは現在71歳、元小学校の教員です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症して11年目、胃ろうと気管切開をして呼吸器を装着して4年目になります。ALSの進行に合わせて、どのような思いで、どのような選択をしてきたかについて語ってくれました。

 

松山さんが2009年に小学校を退職したのち、ALSは発症しました。片腕が動かなくなり、両腕が動かなくなっていきます。身体にただ腕が付いている状態という表現をされていて、両腕が動かなくなるとはそういう感覚なのかと生々しく想像ができました。そして、両足も動かなくなり、自分では何もできなくなっていき、松山さんだけではなく奥様からも笑顔が消えていったそうです。次は自発呼吸ができなくなり、酸素が欠かせない生活となり、笑顔をつくることさえできなくなったそうです。天井ばかりを見て生活をして、誤嚥性肺炎を繰り返す時期がやってきます。

 

松山さんは葛藤を経て、人工呼吸器を装着することを選びました。生きることを選択したものの、自分の中に閉じ込められたような絶望感も覚えていたといいます。しかし、この頃を境として、外出や社会参加ができるようになり、重度訪問介護の申請から交渉、認定と、長時間(1日24時間)継続してヘルパーさんの介護を受けることが可能になったことで、良い方向に大きな変化が起こっていったのです。外出先や近くの公園にて、家族と笑顔で映る写真がそのことを物語っていました。「どのような看護・介護を受けるか在宅支援の有り様で、当事者の生きる姿が変わります」と松山さんは語ります。どのような難病患者にとっても、生きる価値や意味を、意欲を見出せる看護・介護をしてほしいということです。

 

 

個人的には、松山さんの講演を聞いて、「命を使って何ができるか」と今は考えるに至られたことに驚きました。誰かから与えてもらうでもなく、自分の時間やお金を使って何ができるのかを考えるのでもなく、自分の命を使って何ができるのかと考える。そう言われてみて、松山さんがこうして私たちの目の前に現れ、娘さんに代読してもらう形でその気持ちや考えを伝えてくれることの意味。そして、私は実際に松山さんと会って、ひと言ふた言、会話を交わしたことで、その笑顔から、その意味が分かった気がしました。1時間押しの状況の中でも、「先にドリアを食べてきてしまいました。でも懇親会でお寿司を食べるスペースは残してあります(笑)」と笑顔で語り、講演が終わって「とても良かったです」と声を掛けると笑顔で「ありがとう」と言ってくれたような気がしました。松山さんはその存在、つまり命を使うことで、周りの人たちを笑顔にして、励ましてくれているのです。もちろん、松山さんだけではなく、私たちは誰でも、命を使って誰かの役に立つことができるはずです。