分身ロボットカフェに行ってきました。分身?ロボット?と頭の中に疑問符がたくさん浮かんだ方のために、簡単に説明させていただきます。分身ロボットカフェとは、難病や身体障害などで外出困難な人たちが、遠隔操作でロボットを動かし、店員として接客するカフェのことです。これだけでピンと来た方は相当に想像力が豊かですね。分身ロボットを使って接客する人も接客された人も、人類の中ではほとんどいません。そこに行きたくても行けない人たちが、ロボットやテクノロジーを利用することで、自宅にいながらにして働ける世界が近い未来に訪れるのです。今回、分身カフェに参加させていただき、新しい世界のその先端を垣間見たような気がしました。
1時間のコースは、オリティ研究所の代表である吉澤オリティさんの挨拶から始まります。今回の分身ロボットを介して障害を持つ人が働くという試みは、世界でも例をみない実験的事業であり、それゆえのトラブルもあるということ(ロボットが客席に突っ込んだこともあったそう笑)。そうした失敗を重ねることで、より安全な運営に進化していくこと。実際にロボットによる接客を体験してもらうことで、ロボットの接客は「あり」か「なし」か感じたことを教えてもらいたいこと。自分たちが身体が動かなくなっても働ける社会がくるべきであること、などなど。
コンセプトブックには、さらに詳しく書いてありました。
・たとえ寝たきりになっても、心が自由ならなんでもできる社会の到来
・接客など、身体的労働を可能にするテレワーク、アバターワークの提案
・周囲と同じ「普通」を目指す福祉ではなく、「未来」を目指すSF
どのコンセプトも共感できるものばかりです。今は他人事かも知れませんが、私にもあなたにも誰にも身体が動かなくなって、寝たきりになってしまうような状況が突然訪れるかもしれませんし、いつかは確実に訪れるはずです。そのようなとき、身体が不自由だから心も不自由になってしまうのではなく、できれば心だけでも自由にありたいではありませんか。身体が動かなくなったから、人と接する身体的労働をあきらめてしまうのではなく、分身ロボットを使って働くことができると最高です。そして、福祉の枠だけにとどまることなく、今は想像することが難しい未来をどこまで大きく創造することができるのでしょうか。
実際に接客を受けた素直な感想としては、十分に「あり」だと感じました。外から見学していたときは、ロボットが接客しているとしか思えませんでしたが、メニューを取りに自分の横にロボットがやって来て、いざ話をしてみると、その感覚は消え去りました。ロボットの姿形といった見た目などはほとんど気にならなくなり、まるでその人と話しているような気になるのです。単なるコミュニケーションであれば、スカイプやFACETIMEなどのテレビ電話などを利用すれば可能ですが、それとはまた違った感覚を抱いたのです。
なぜだろうと考えてみると、おそらくそこにロボットという身体性があるからだと思いました。私たちの席を担当してくださった山崎さんの身体は島根県の松江市にあるのですが、その分身としての身体が今ここにあり、動いて注文を取りに来たり、コーヒーを給仕してくれたり、手を振ったりして動いているのです。人の心が宿ったロボットというべきでしょうか。そこがPepparくんと違うところであり、分身ロボットカフェの入口に「私たちはロボットと人間を区別しません」と掲げられている意味だと思います。
ロボットという身体性を通して彼と話していると、そこには身体と心の境界線が分からなくなるのです。私たち人間は、たまたま自分の肉体という乗り物に乗って生まれてきただけであり、乗り物である以上、乗り換えることもできるのではないでしょうか。そんなとき、こころも身体も真の意味においてポータブル(移動可能)になるのです。