「はざまのコドモ」

私たち人間の生きる世界は多種多彩です。コンピューターのように0と1で構成されているわけではなく、黒と白に分けられるわけでもありません。目には見えないことの方が圧倒的に多くて、だからこそ私たちは想像力を働かせ、他者と共に生きていかざるをえません。しかし最近は、制度を利用したり、適切な支援をするために、人間を分かりやすい形で細分化する必要が出てきて、それによってこれまでは見えなかったもの(見えなくても良かったものまで)が浮かび上がってくるようになりました。発達障害などはその典型であり、支援や治療を受けやすくなった反面、レッテルを貼られたり、カテゴライズされてしまうというデメリットもあります。このマンガには、そうした制度やカテゴライズのはざまに落ち込んでしまった子どもと親の現実が描かれています。

 

主人公のヨシくんには発達障害や睡眠障害があり、小学校の下駄箱の前で寝てしまったり、授業中に突然お弁当を食べ始めてしまったり、学校(社会)生活になかなかなじめません。将来のことを考えると、療育手帳(東京都では愛の手帳)を取得しておくべきですが、ヨシくんは何度テストを受けても、IQが85前後の結果が出てしまうため、障害なしと判定されてしまいます。ちなみに、IQ70以下が「発達遅滞」、IQ90前後からが「正常」と定義されており、ヨシくんのようなIQ70~85ぐらいまでの人たちが「境界知能」、いわゆる知的ボーダーと呼ばれます。制度である以上、どうしてもどこかで線引きをしなければならず、その線の前後ギリギリのところ(ボーダー)にいる人たちは、下手をすると支援が必要であるにもかかわらず支援が受けられないという事態に陥ってしまうのです。

 

マンガの中では、制度に振り回され、偏見や差別を受けながらも悪戦苦闘する親子の姿がユーモラスに描かれていて、微笑ましく、つい応援したくなってしまいます。療育手帳が取れて、特別支援学級に行けばすべて解決するということではなく、普通学級にいながら通級指導などのサポートを受ける方が良いケースもあるそうです。どちらが良いということではなく、本人が安心、安定して過ごせる学習環境においてあげることが大切なのですね。私が子どもの頃は、同じクラスに障害のある人もいたので、個人的には区分けすることなく(そうするメリットも良く分かりますが)、できるだけ共に生きられる方向で支援することが、社会全体としての豊かさにつながると考えています。

 

 

介護や福祉にたずさわる私たちは、はざまに生きている人たちがいることを知っておかなければいけません。一般の人たちには見えなくても、私たちには見えなければならないのです。制度を利用してもらったり、または一見不思議に思える言動を理解するためにも、支援すべき立場にいる専門職である私たちは、相手のことを知ってこそ適切な支援ができるはずです。