21歳でらい病(ハンセン病)の宣告を受けた著者が、東村山の隔離施設「全生園」に入所したその日の夜に起こった出来事を書いた私小説です。文豪の川端康成も認める文学的才能を持ちながらも、病気になったことで戸籍を抜かれ、北條民雄は一度は存在しない人間となりました。それでもこの作品の素晴らしさは人々の心を動かし、らい病(ハンセン病)を題材に扱ったということではなく、人間を描き切った文学として金字塔となったのです。
主人公の尾田が「全生園」へ向かうシーンから物語は始まります。病気を患ってから、そして「全生園」へと歩く道すがら、尾田は常に自殺を考えます。首を吊るのに適切な木がないのか、つい木を見て枝を見てしまう。しかし、死を日夜考えるようになればなるほど、死にきれない自分にも気づくことになります。思い立って、江の島に投身自殺をしに行ったときの描写がその心と肉体が分離した状況を表現しています。
「今」俺は死ぬのだろうかと思い出した。「今」どうして俺は死なねばらなんのだろう、「今」がどうして俺の死ぬ時なんだろう、すると「今」死ななくても良いような気がして来るのだった。
裸にされて身体検査を受け、所持金も全て奪われ、いよいよ入所した初夜、尾田は想像を絶する光景を見ることになります。そして、唯一の救いとなる佐柄木という男に出会います。
木立を透かして寮舎や病棟の電燈が見えた。もう10時近い時刻であろう。尾田はさっきから松林の中に佇立してそれらの灯を眺めていた。悲しいのか不安なのか恐ろしいのか、彼自身でも識別できぬ異常な心の状態だった。佐柄木に連れられて初めてはいった重病室の光景がぐるぐると頭の中を回転して、鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のように目玉のない男などが眼先にちらついてならなかった。自分もやがてはああ成り果てて行くであろう、膿汁の悪臭にすっかり鈍くなった頭でそういうことを考えた。半ば信じられない、信じることの恐ろしい思いであった。―――膿がしみ込んで黄色くなった包帯やガーゼが散らばった中で黙々と重病人の世話をしている佐柄木の姿が浮かんでくると、尾田は首を振って歩き出した。5年間もこの病院で暮らしてきたと尾田に語った彼は、いったい何を考えて生き続けているのだろう。
年齢も近かった尾田と佐柄木は次第に仲良くなり、尾田はひとつの疑問にたどり着くのです。この凄まじい世界の中で、佐柄木は生きると言うが、自分はどう生きる態度を定めたら良いのだろうと。尾田の疑問に対して、佐柄木は「らい病に成りきることが必要です」と答えます。らい病に屈服して、らい病者の目を持たねばならない。そこから新しい勝負が始まると言うのです。また自らもらい病者である佐柄木は、らい病者は人間ではないと言い切ります。
「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。僕の言うこと、解ってくれますか、尾田さん。あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけがびくびくと生きているのです。なんという根強さでしゅ。誰でもらいになった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんな浅はかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです。けれど、尾田さん、僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つとき、全然らい病者の生活を獲得するとき、再び人間として生き返るのです。復活そう復活です」
「苦悩、それは死ぬまでつきまとって来るでしょう。でも誰かが言ったではありませんか、苦しむためには才能が要るって。苦しみ得ないものもあるのです」