老人ホームで生まれた<とつとつダンス>

介護に関する本だけではなく、どんなジャンルの本にも当たりハズレはあり、当たりを手にするためにはたくさん本を読むしかありません。そして、①読みたい本、②読むべき本、そして③人から勧められて読む本の3種類をまんべんなく読むことが大切だと思います。この本は新聞の書評欄で見つけたもので、①でもあり、②でもあり、③でもあったということです。読んでみると、サブタイトルにもあるように、ダンスの話であるようで、介護の話でもあり、どちらでもないような、これまでに読んだことのない、分かりにくい話でした。それでも最後には、何かを手に入れたような気がする、私にとっての当たりの本でした。

<とつとつダンス>と名付けられたダンスを始めたのは、ダンサーであり振付師である砂連尾(じゃれお)さん。踊りや舞台を通して、自分にしか見えない世界を見てみたいとダンスの道に進んだ彼は、ひょんなことから京都にある特別養護老人ホームでワークショップを始めることになりました。参加するのは高齢者や子どもたち。高齢者の中には、認知症がかなり進行している方もいれば、耳が不自由な方もいます。どうやって踊るのか、私たちは不思議に思うはずです。踊るって何だろう、という問いの前で私たちは立ち尽くし、そこから新しいコミュニケーションが始まるのです。

 

「ミユキさんは僕がすることのすべてを受け入れてくれた。彼女は認知症なので、具体的なワークをこなすという感じではなかったが、僕がすることを嫌がることもなく、ただ受け入れて、そこにいてくれた。

 

認知症で、何も理解していないからだと言う人もいる。どうなんだろう。わからない。でも、ミユキさんと触れ合っていると、彼女は僕を無視しているというのではなく、存在をどこか認めているようだけど、何をしてもそれが彼女の負担にも刺激にもならないというような、他の人からは得たことがない不思議な感覚があった。

 

ふと気づいたことがある。僕が彼女に何か働きかけようとしていたはずなのに、僕はミユキさんとのワークを通して、彼女に何かを引き出されることを楽しみにしているのかもしれない。次第にそう確信するようになっていく」

 

「コミュニケーションが成立するように見えたとき、実は大量のディスコミュニケーションが消えている。僕たちは、そこに目を向けることから始めようとしていた。ディスコミュニケーションがゆえに、いや、ディスコミュニケーションでないと意味の中で落ち着いてしまうものが、ディスコミュニケーションによって引き出される。そのときに生まれるとまどいそのものを溜めていくことを大切にした。自分と誰かの関係は、「理解し合う」関係だけではない。ではどういうふうに関係をつくるのか。その実験的な作業を、僕たちはおそらくしていたのだと思う」

 

 

「認知症の人は、「通じない」人だと思われているけれど、僕は「違う時間軸にいる」人だと考えるようになった。僕たちが「いま」を感じている以外にも、時間軸があるかもしれないと、彼女たちを見ていていっそうと感じるようになった。夜空では星が同時に光っているようでいてそれぞれ別の時間軸にある光が瞬いているけれど、僕たちもまた、みんな「いまこの時間」を生きているようでばらばらの時間軸を生きているのかもしれない。ミユキさんと踊った経験は、僕をいろいろな意味で解き放ち、開いていった」