まずは意識から

先日、実務者研修の医療的ケアの授業が行われました。授業全体を通して見て、これほどまでに看護師の先生が1日中、親身になって関わってくれる研修は他にはないだろうと思いました。湘南ケアカレッジの医療的ケアが明らかに違うのは、生徒さんたちと先生方の距離感の近さです。人形の台数が多い(生徒さん3人に1台)ことや、手順だけではなく利用者さんの気持ちに寄り添う本質的なケアを伝えたいというテーマなど、従来の医療的ケアの授業の問題点をすべてひっくり返したこともそうですが、何よりも先生が最終チェックするために存在するのではなく、途中の過程に入っていきながら、やってみせ、やってもらい、褒め認めて、手技のレベルを目標の地点まで高めていくというスタイルを採用したことにより、生徒さんたちと先生方の距離感が縮まり、同じ目線の高さで教えることに成功したのだと思います。

他の学校の医療的ケアの授業において、時間が足りないと嘆いている声を聞きますが、上記の点を全てクリアできていないことが原因です。生徒さん1人に対しての人形の数が少なく(ほとんどの生徒さんは手が空いてしまう)、手順を覚えることばかりを重要視して練習させ(根拠が分からないと身につかない)、看護師の先生は最終チェックをすることに時間を取られてしまう(生徒さんひとり1人に関わる時間が少ない)ことで、あらゆることが非効率になってしまっているということです。そうすると生徒さんも先生も心の余裕がなくなり、殺伐とした雰囲気になり、面白味のない授業になってしまう。医療的ケアの授業はこの悪循環から抜け出す必要があるのです。

 

問題の大きさは分かっていても、なぜ変えられない(変われない)かというと、そこには看護師さんたちの目線の高さがあるのではないかと思います。良く言えば目線の高さですが、つまり介護職を無意識のうちに下に見ているというか、同じ地平線に立って教えようという気持ちがないということです。だからこそ、介護職には勝手に練習をさせて、看護師は最終チェックをするだけ、質問も受け付けることもほとんどなく、細かいところに難癖をつけるだけになってしまう。もちろん医療的ケアに関して、介護職とは力量の差があるでしょうし、そこにはプライドもあるはずです(あってしかるべきです)。それでも、それはそれで一旦置いておいて、看護と介護の間にある垣根を取っ払って、これから医療介護の現場を支えてくれる人たちを育てようと思ってもらいたいのです。

 

 

そういった点において、湘南ケアカレッジの看護師の3人の先生方は最初から意識が違いました。私が言うまでもなく、医療と介護の壁を超えて、同じ目線で教えるのが当たり前と思ってくれていました。こうした先生方の柔軟な意識があったからこそ、これだけスタイルの違う授業をつくり上げることができたのだと思います。言うは易し、行うは難し。実行することがこれだけ難しいのは、まずは自分たちの意識を変えることが難しいからなのだと思います。1日中、立ちっぱなしで、付きっきりで生徒さんたちひとり1人を見て、声を掛け、質問を受け、褒めて認めて、アドバイスをしてくださる先生方に心から感謝します。