3月短期クラスが無事に終了しました。高校2年生から60代の方までが一緒になって学んだ素晴らしいクラスでした。実技の演習のとき、自分が実際に行っていないときでも、ただ待っているだけではなく、人がやっているのをしっかりと見ていたり、エアーで練習をしていたりする姿が印象的な、とても熱心な生徒さんたちでした。そんなクラス全体の雰囲気ができあがると、誰もが一生懸命に取り組むことを楽しめるようになりますね。研修が終わってから、ある年配の生徒さんとお話しした中で、「若い人たちも福祉や介護について誠実に学んでいる姿を見て、感心するとともに驚きました。私が若かった頃を思うと隔世の感があります」という言葉を聞き、本当にそうだなあと私も思いました。
その生徒さんがおっしゃるには、小学生だった頃、障害のある子どもたちのお手伝いをしていたそうです。自主的にというよりは、先生に指名されたからというきっかけだったそうですが、彼にとっては(特別ではない)普通のことにすぎませんでした。ところが、周りの子どもたちからは、何か特別なことしているという目で見られたそうです。何でそんなことをやっているんだという白い目で見られたということです。そんなクラス全体の雰囲気をひしひしと感じたことを、今でも覚えているとのこと。あの何とも言えない閉塞した空気と、湘南ケアカレッジで出会ったクラスメイトたちのそれが全く違い、特に若い人たちも当たり前のように偏見なく福祉に向き合っていることに、時代は変わったと思ったのだそうです。
私にも小学校時代の苦い思い出があります。小学校6年生のとき、私は東京から大阪の小学校に転校しました。大阪の小学校のクラスには、ひとり変わった女の子がいました。今は彼女が知的障害のある子どもだったと分かるのですが、その当時は、不思議な言動をする女の子だなという印象でした。東京の小学校にはいなかったので、私にとっては障害のある子どもと接した初めての機会でしたので、とても興味深く感じ、彼女のことがどこか気になっていました。何か困っていることはないのか、今先生が言ったこと分かっているのかなあなど、稚拙な言葉で言えば、優しく見守ってあげなくてはいけないと、子どもながらに思っていたのでしょう。それがおせっかいだったかどうかは分かりませんが。
ある日、「村山くん、○○に関わるのやめた方がいいよ。他の人から変な目で見られて、仲間はずれにされるよ」とクラスメイトのひとりから忠告されました。私は彼の言っていることの意味が全く分かりませんでした。彼も私に敵意を向けているわけではなく、私のことを思って忠告しているように感じたので、なおさら理解に苦しみました。なぜ○○さんと普通に話したり、気を配ってあげることが、私にとって良くないことなのか。私が彼の伝えたかった意味を理解したのは、それからだいぶ長い時間が経ったあとのことでした。彼は灘高校という超がつく難関中学校に合格した頭の良い子どもだったので、クラスの雰囲気を読んで教えてくれたのだと思います。
こうした無理解や偏見や差別にあふれていた時代を経て、少しずつですが、私たちの周りには病気や障害に対する理解がある人々が増えてきていると思います。最近の乙武さんに関する報道や世間の声を聞くと、それでもまだまだ理解や認識が浅くて悲しく思うのですが、それでも世の中は良い方向に変わってきていると私は信じています。それは想像や机上の空論ではなく、実際に私が湘南ケアカレッジという学校で出会う生徒さんたちや先生方がそうだからです。冒頭に登場した年配の生徒さんが感じたような隔世の感を、私は毎日のように介護職員初任者研修を通じて抱いているのです。