意味のないことなどない

8月日曜日クラスと11月短期クラスがほぼ同じ時期に終わりました。立て続けにクラスが修了すると、馴染みの生徒さんが一気にいなくなってしまったようで、一抹の寂しさを感じます。たった15日間かもしれませんが、15日間かけて少しずつでも良い人間関係を築こうと頑張っているだけに、お別れのときには悲しい気持ちになるのです。これは介護の現場でも同じです。特に高齢者の介護の場合、せっかくお互いのことを理解し始め、距離感が縮まり、信頼関係が生まれてきたところに終わりが訪れることがあります。だからといって、人間関係を築くことが無駄だとは思いません。たとえ終わりがあるとしても、短い間であっても、互いの人生のひとコマにおいて心が通じ合うことこそ、私たちの生きている意味であり喜びであるのです。


かつての生徒さんで、障害者の介護から高齢者の介護に移ったけれど合わなかったという方がいました。「高齢者の介護のお仕事は、せっかくお互いのことを知れたと思った途端に、その利用者さんが亡くなってしまうので辛い」と彼は言い、再び障害者の介護に戻りました。その話を聞いたとき、とても興味深い視点だと感じました。せっかく人間関係をつくっても、それが無になってしまうことに彼は虚無感を覚えたのです。


それは人と人との関係を築こうとする彼らしい考えだと思いますし、そもそも相手のことを知ろう、理解しようと思う気持ちがあるからこそ。彼のように感じてしまう介護者もいることは確かですし、これからの高齢者介護の課題のひとつでもありますね。

 

日曜日クラスの生徒さんで、「将来的には教えることもやってみたい(先生になりたい)」と言ってくれた方がいました。この言葉を聞くと、私はとても嬉しく思います。それは彼ら彼女らの向上心の表れであり、湘南ケアカレッジに対する最大の賛辞でもあるからです。湘南ケアカレッジの先生方の活き活きとした姿を見て、自分もいつかはこのように教えてみたいと感じてくれたからこその言葉だと思います。


そして、教えられるようになりたいという想いは、自ら学ぶ意欲にも直結しますので、彼ら彼女らは必ずや現場で良い仕事をするはずです。それらの経験や知識、技術を持って、ぜひ将来、ケアカレに戻ってきてください。今いる先生方に追いつき、追い越そうとするような卒業生の先生が現れることを楽しみにしています。

 

短期クラスのある生徒さんから、「もう使わなくなったので」とオムツをたくさんいただきました。彼はずっと祖父を介護していたそうで、祖父がお亡くなりになってから、介護職員初任者研修に学びに来てくれました。「祖父が生きているときに知っていたら、こうしてあげられたのになと思うことがたくさんありました」とアンケートに書いてくれました。


彼のように、家族の介護がひと息ついてから改めて学びに来る生徒さんも最近は増えてきました。いざ介護が始まってしまうと、学校に通うどころではなく日々が過ぎ去ってしまいます。それでも、介護が終わってからでも学びに来てもらえると、あのときを振り返りながら学び直しができるのです。それは後悔ではなく、鎮魂のようなものではないでしょうか。そうした想いを抱いた介護者は、次に出会う利用者さんにより良い介護をすることができるはずです。全てはつながっていて、意味のないことなど世の中にはないのです。