10月短期クラスが修了しました。人数が少なく、男性の方が多いという珍しいクラスでしたが、皆さん学ぶ意欲が高く、私たちの想像を超える盛り上がりを見せてくれました。人数が少なくても、少数精鋭で密につながることができる。男性が多くても、明日からでも現場に出ていけるような意識を持って学ぶことができる。環境に合わせ、変幻自在に形を変えて、私たちは良い方向に向かっていくことができるのだと実感しました。このクラスで最も印象に残っているのは、介護過程の授業の終わりに、それぞれが感想を語る場面があり、ある生徒さんが語ってくれた「弱さを見せることで対等な関係になれる」という言葉でした。
私たちは介護の仕事を始めると、いつしか介護する側の人間になってしまいます。当たり前と言えば当たり前の話なのですが、介護する側と介護される側の間にある線や壁のようなものが明らかになってしまうということです。その関係性がしてあげる・してもらうの関係になってしまうこともあれば、上下関係のようになってしまうこともあります。最初は寄り添うような介護がしたいと思っていたのに、気がつけば、水が高いところから低いところに流れるように、一方的にケアが施される業務としての介護になってしまうのです。
先生という仕事にも同じことは当てはまり、私たちは教えることに慣れてしまうと、いつの間にか教える側の人間になってしまいます。教える側と教えられる側が明確に分かれてしまい、私は教える側、あなたは教えられる側と考えてしまうようになるのです。もちろん、先生である以上は、自分の経験から学んだことを伝えていかなければなりませんし、自分が正しいと信じることを語っていかなければなりません。でも心の底では、たとえ今は教える立場であっても、私たちは常に学んでいなければならないし、教えることで教わっている(共育)という想いを決して忘れてはならないのです。
「私たちは皆さんより少しだけ多くの経験をしていて、少しだけ多くの引き出しを持っているだけ。私たちでも、新しい利用者さんと向き合うときは、いつも初めての介護になる」と佐々木先生も望月先生もおっしゃっていたのを聞いて私は安心しました。
介護の仕事における関係性に話を戻しますと、私たちは利用者さんたちの話を聞き、相手をより深く知ることで関係性を変えることができますし(このあたりは別の機会に書きます)、自分の弱さを見せること、隠さないことで同じ人間同士として付き合うことができます。
しかし、自分の弱さを見せることは、実はとても難しい(特に男性にとって)。誰しもが弱い存在であるにもかかわらず、私たちは役割として弱さを隠さざるをえない、そういう生き方を強いられてきました。私もそのひとりです。だからこそ、冒頭の生徒さんの言葉が心に響くのです。
介護する側と介護される側に分かれてしまうぐらいならば、弱くてもいい、弱さを見せてもよい。そう考えると、人と向き合う仕事をするとき、もしかすると弱さは美点になるのかもしれませんね。