誰かが救える命もある。

9月10日から16日までは自殺予防週間です、と佐々木先生に教えてもらいました。自殺を予防するために、それぞれが何かを考えるきっかけとなればと内閣府から提案されました。あまり広く知られていないのが残念ですが、さすが佐々木先生は、自らが介護職員初任者研修の授業において介護者や高齢者のメンタルヘルスについて話しており、ゲートキーパーの研修も受けただけあって、ご存じでした。ちなみにゲートキーパーとは、自殺の危険を示すサインに気づき、声をかけ、話を聞いて、病院などの支援機関につなげ、見守る人のこと。過去に自分が救われた経験からゲートキーパーの活動をされている方もいますし、そうではなくても、悩んでいる人を助けたいという気持ちがあれば誰もがなれる存在です。


自殺に至るまでの過程は様々ですが、大まかに言うと、何らかのストレッサ―(ストレスの原因になるもの)があり、それに反応する形で健康を害したり、うつなどの症状が出て、最後には死を選んでしまうということです。ストレッサ―は自分でコントロールできないものが多く、元々の性格が明るいとか楽観的とかにかかわらず、大きなストレスに長期間にわたってさらされることになれば、誰でも上のような過程をたどる可能性があるのです。日本は世界でも有数の自殺大国であり、その国で生きる私たちにとっては、まさに人ごとではない問題のひとつなのです。

 

そういえば、ちょうど先日、卒業生と男性と女性の死に対する向き合い方の違いについて話したところでしたので、私にとってもタイムリーな話題でした。その卒業生は、これまでの経験を通して、女性と男性では生に対する執着に大きな違いがあると感じているそうです。女性はとにかく最後まで生きることを選ぶが、男性はどこかの時点で生きることをあきらめてしまうのではないかと。女性が強いのか、男性が弱いのか分かりませんが、総体的に見てそういう傾向があるのではないかと言うのです。まさに私も共感するところがあり、女性の側は分かりませんが、男性があるところまで追い込まれてしまうと、生きることを断念してしまいたくなる衝動に駆られる気持ちはよく分かります。

 

男性は論理的に考えることが得意であるばかりに、論理的に行き詰ってしまうと滅法弱いのです。どう考えても八方ふさがりの状況に置かれたとき、つまり誰がどう考えても改善の余地が残されていないことが明らかなとき、男性はあきらめて白旗を挙げてしまうのです。それは潔いということではありません。誰かに相談をしたり、話を聞いてもらったりしないのは、たしかに誰にとっても完全にアウトであることが分かるからです。相談しても論理的には解決しないからです。本当はジタバタともがいてみたり、時間が経てば解決したり、周りの人に相談したら思いもつかなかったアイデアが出てきたりするかもしれないのですが、男性は自分の頭の中だけで追い込まれ、完結してしまうのです。

 

最近は若者の自殺が問題になり、鎌倉市の図書館のツイッターが話題になったりしましたが、最も自殺率が高いのは依然として40代、50代の男性です。それは年齢的に多種多様なストレッサ―に身を囲まれるという状況に加えて、上に述べたような男性特有の思考にも原因があると思います。今回は分かりやすくするため、男性と女性と分けて述べましたが、もちろん性別だけで明確に隔てられるわけではなく、男性だから、女性だからということではありません。ただ、そういう思考の特性があることを知っておくことで、話をじっくり聞くことだけではなく、悩んでいる人の頭の中に入って行く勇気もときには必要であることが分かるはずです。生きたくても生きれない人もいる一方で、誰かが救える命もあるのです。