介護の学校をやっていると、「生徒さんたちに求人のチラシを渡してください」、「生徒さんたちに施設・事業所のことを知ってもらう時間を設けてもらえませんか」などと声を掛けていただくことがあります。もちろん私にも頼まれたら応えたいという気持ちはあるのですが、この手の依頼に関しては、一律にお断りさせてもらっています。どういった施設・事業所か分からないというのが最大の理由ですが、もっと深いところでは、なぜ湘南ケアカレッジがそれをしなければならないのか分からないからです。
この何とも言えない気持ちを、うまく説明してくれている本があります。JR中央線の西国分寺駅でクルミドコーヒーというカフェを運営している影山知明さんが書いた『ゆっくり、いそげ』の中に、『「お店にチラシを置いてもらいたい」への答え』という一節があり、長くなりますが引用させていただきます。
たとえばお店をやっているとよく受ける問い合わせの一つは、「チラシを置いてもらえないか」「今度、お店を使ってイベントをやらせてもらえないか」といった種類のものだ。もちろんできる協力はしたいと思うし、そうした中で実現したものももちろんあるが、残念ながらこうした問い合わせには一方的なものも多い。
つまり、お店を「利用」しようとするもので、先方にとってそうすることの意味は分かったとしても、お店にとっての意味となると、「?」となってしまうもの。お店に来たこともなく、こちらがどういうお店で、どういうことを大事にしようとしているのかにもほとんど関心がないまま連絡がくるようなケースも、残念ながらままある。
こういう問い合わせには、こちらも「利用」で返すしかない。つまりお金だ。「いくら払ってくれるならいいですよ」と。ただこうしたやり取りはちょっと疲れるし、その先にお金以外の何かを生んでくれないことが多いので、実際には断ってしまうことも多い。
ただ実はまわりを見渡してみると、こうしたお店にまつわるものに限らず、世の「やり取り」の多くが、この「利用し合う関係」で埋められていってしまっていると感じるのは自分だけだろうか。
うちとケースが似ているので分かりやすいのですが、私が共感するのは最後の部分、世の「やり取り」の多くが「利用し合う関係」で埋められていってしまっているのではないかという感覚です。ギブ&テイクのどちらが先かという問題ではなく、どのようにして相手を利用するかで頭が一杯の状態です。私たちが時間と労力ともちろんお金もかけて集まってもらい、信頼関係を育て、介護の素晴らしさを伝えた生徒さんたちに対し、「最後にやってきて紹介だけさせてください」という依頼をする。それは単にお金がかからない方法であり、本人たちにとってはリスクも全くありません。むしろ本人たちは相手を利用している感覚すらない場合もあって、だからこそ最終的には感謝も生まれません。
私たちは人を手段化しようとする経済で生きていることを自覚しなければなりません。相手を上手く利用しようとするのではなく、お互いに支援し合い、心から「ありがとう」と言い合える関係を築こうとするべきなのです。そのためには、目の前の人を大事にするべきです。これはきれいごとではなく、お互いに長く良い関係を築くためには必要なこと。利用し合う関係ならまだしも、利用するだけの関係は長くは続かないものです。得ることを仕事や生きることの目的とするのではなく、まずは与える、贈ることを仕事の動機や目的とする。湘南ケアカレッジはそんな学校でありたいですし、私自身もそのような生き方ができればと思います。