志乃ちゃんは母音から始まる言葉が言えません。そのため、自分の言いやすい言葉に言い換えて話すクセがついているのですが、自分の名前である大島志乃(おおしましの)が言えないのです。皆の前で自己紹介をするとき、決まって言葉が出てこなくなるため、知らない人たちにはふざけていると思われたり、笑われたりします。そんな高校生の志乃ちゃんが、音楽好きの岡崎加代と友だちになり、「しのかよ」というバンドを始めようという話に。普通になれないこと、自分が自分であること、そしてその大切さについて。読み終ったあと、私たちは言葉にできない何かを感じるはずです。
この漫画の素晴らしいところのひとつは、本編の中で「吃音」や「どもり」という言葉が一切出てこないことです。「吃音」や「どもり」というコミュニケーションの障害や病気を扱った漫画でありながら、青春や恋を下敷きとして、焦燥や熱き想いに乗せてそれらを描いているのです。作家の大江健三郎さんは、「どもりはあともどりではない。前進だ」と書きましたが、まさにその通りの前進の漫画なのです。
「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」本編より引用
吃音症とは、話し方のリズムや流暢性などの障害として多くみられます。吃音症には「お・お・お・おはようございます」といった連発型や「おーーーはようございます」といった伸発型、「ぉ……(無音)」といった難発型が典型的な症状としてあります。吃音の原因はまだ解明されておらず、かつては家庭環境の問題や精神的な症状とされていましたが、今は脳内の何らかの障害という考え方が主流になっています。
この漫画の中でも、先生が「志乃ちゃんが緊張するのはさ、まだみんなと打ち解けていないからじゃない?もっと積極的に!自分から仲良くしてみようよ。先生も協力するし。名前くらい言えるようになろう?ね?がんばって!」と善意で励ますシーンが登場するように、精神的な緊張に影響されるといった考え方が根強く、間違った方向で克服しようとしても、周りも本人も苦しむだけといったケースも少なくありません。
私が子どもの教育にたずさわっていたとき、連発型の吃音症の生徒さんがいました。「ぼ・ぼ・ぼ・僕は○○小学校です」と発語するため、同級生から真似されたりしてからかわれていました。とても優秀な子でしたし、本人も社交的な性格だったので、私たちはそれを彼の個性のひとつとして捉えていましたが、ご両親の気持ちやこの先の成長過程における彼の心を考えると心配や不安は当然にありました。
最終的には、本人が自分は自分であるとして受け止めることしかないのだと思います。この漫画の著者である押見修造さんも同じく吃音で悩まされた経験があり、こうあとがきに綴っています。
「でも悪いことばかりじゃあなかった、相手の気持ちに敏感になれたし、言いたい気持ちや想いが心の中に封じ込められたことが漫画を描く爆発力となった」
「もちろん、吃音だったから漫画家になれた、というわけではありません。しかし、吃音という特徴と僕の人格は、もはや切り離せないものになっているということです。僕にとっては、たまたま漫画だったというだけで、それは人それぞれにあるんだと思います。どんなに小さなことでも、大きなことでも、世界を反転させる何かがひとつだけ、一瞬でもあれば、それで生きていけるんじゃないか」
1巻完結の短編ですが、とても強いメッセージ性があり、介護や福祉にたずさわる人はもちろん、ひとりでも多くの人々に読んでほしい漫画のひとつです。