気持ちが人を動かす

佐々木先生の声が出なくなってしまいました。風邪から喉が悪くなり、そんな中で無理をして授業をしてもらったせいで、声帯を痛めてしまったのです。先週中はずっと声が出ない状態で心配したのですが、なんとか会話ができる程度の小さい声が出るまでには回復しました。それでも、肉声で授業をするのは難しいので、湘南ケアカレッジとしては初のマイクを使って臨んでもらいました。カラオケ用のマイクを使ったので、ずいぶんとエコーが利いて、佐々木先生が話す言葉とスピーカーから出てくる音の間に若干の時差があり、まるで同時通訳を通しているような、神の声が聞こえるような、荘厳な雰囲気で授業は進みました。普段に比べて聞き取りづらい分、生徒さんが一生懸命に聞いてくださっていた姿も印象的でした。

 

さて、佐々木先生の声が出づらかったため、先週の移動介助の授業において、いつもは生徒さんたちに伝えている感動体験を話すことができませんでした。それでも、どうしても皆さんに伝えたいという佐々木先生の要望があり、文字にして、後日、生徒さんたちに配ることにしたのです。私は授業で何度も聞いたことがあるのですが、こうして文章になったものを読むと、改めて素敵な話だなあと思います。せっかくですので、このブログを読んでくださっている方にも共有させていただきたいと思います。

 

私が訪問介護のサービス提供責任者になりたての頃の話です。在宅の経験が全くなかった私にとって、他のヘルパーさん同様、自宅訪問に慣れるのが大変な毎日でした。

 

利用者さんのひとりであるA雄さんは60代、マンションの8階で、ご夫婦二人暮らし。退院後の身体介助でした。A雄さんは失禁が1日数回と多く、奥さまがオムツ交換をされていましたが、腰痛悪化のため、介護ができなくなってしまったようです。

 

その当時は、利用者様の疾患等について、ヘルパーに伝えることがあまりなかった時代であり、未熟だった私は、どのような状態での介助なのか?ということをほとんど理解していませんでした。ただ、毎回のサービス内容についてのみ聞かされての訪問だったのです。

 

今考えると、こんなに ‹おかしい?› ことはありませんね。A雄さんのこと、自分で見たこと、奥さまからのお話以外、何もわからない、知らない。そんな状況でサービスをしていました。昔はそんな時代があったのです。

 

毎日のサービスは、起床介助から、就寝介助(整容、口腔ケア、オムツ交換、着替え等)朝・昼・晩30分から1時間の訪問でした。私は2ヶ月程、ほとんど毎日、日によっては一日2回、3回の訪問もありました。その2か月間、私はA雄さんの声を聞いたことがありませんでした。まだ、若くして病気になられ、精神的に落ち込まれていたのも事実かと思われます。私の挨拶やつまらない冗談等に、笑顔をみせることは一切なく、もちろん返事もありませんでした。

 

季節は春。自然豊かな場所で8階でしたので、眺めがとても良いお宅でした。

 

「今日は良い天気ですね・・・」

「桜がきれいに見えますね・・・」

 

なんて話を独り言のように、介助をしていた記憶があります。

 

ある日の朝でした。その日が私の最後のサービスでした(他の利用者様にサービス変更のため)。いつものようにサービスを終了し、記録を書いていました(A雄さんのベッドに背を向けて)。

 

その時です。

 

「あらまあ、お父さん??」 と奥さまの大きな声!

 

びっくりして後ろを向くと、なんとA雄さんがサイドレールにつかまって立っていたのです。それまで、ベッドからほとんど離れることなく、寝たきり状態であったA雄さんです。あわてて奥さまと二人でA雄さんを支えようとしましたが、本人は玄関まで私を見送るという意思を、手振りで伝えてくださいました。

 

眼を疑うような、信じられない光景でした。

 

今でもその立ち姿と、玄関で私に手を振ってくださった姿が忘れられません。A雄さんとは、本当にその日が最後となってしまいました。悲しいことに、2週間後に急変、亡くなられてしまったのです。どんな声掛けをしても、いつも無愛想で、強面の顔をしていたA雄さんでした。

 

笑顔!(^^)!のA雄さん、最初で最後でした。

 

A雄さんが歩けるなんて、思ってもいませんでした。もちろん退院後、ほとんど歩いていなかったと思われます。A雄さんはこれが最後の日であることを知っていて、自分にできる精一杯のことをしてくれたのだと思います。気持ちが人を動かすってことが本当にあるのですね。

 

私は、自分の病気で介護職を一年程離れました。現場での仕事は体力的に無理と考えていたからです。しばらく、他の仕事をしながら、色々考えました。やはり、このような体験に出会える仕事に関わっていたいと考えました。そして、今の私がいます。

 

介護の3K 「きつい」「汚い」「給料が安い」ではなく、『健康』、『工夫』、そして『感動』に出会える仕事だと、私は実感しています。