最期に聴きたい音楽

聴覚は最後まで残る感覚と言われています。死に近い人は、たとえ意識がなくなり、目を開けることや話すことができなくなり、何の呼びかけにも反応しなくなっても、耳だけは聞こえるそうです。だからこそ、看取りに臨む際には、手を握ったり、身体をさするなどのコミュニケーションだけではなく、音や声だけは聞こえている(聞いてくれている)と思って、感謝の言葉や最後まで適切な声掛けをしなければなりません。最後の最後に届けるべき言葉というものがあるはず。そして、死にゆく人にとって、最後の最後に聴きたい音楽もあるのではないかと思うのです。

私には叔父さんがいました。叔父さんと言っても、私の母の幼なじみで、母の親友の旦那さんという関係でしたので、血がつながっていたわけではありません。小さいころ、私たちは練馬や上井草、叔父さん夫婦は神宮外苑に住んでいたため、それほど行き来があったわけでもありません。それでも、訪ねて来てくれたときは、しっかり遊んでくれたのだと思います。今でも覚えているのは、神宮球場に野球を見に連れて行ってもらったこと。当時、私は巨人ファンの野球少年でしたので、初めての神宮球場と巨人戦に最高に興奮し、楽しかった思い出があります。

 

私が成人してからも、なかなか仕事が見つからなくて苦しんでいたとき、たまたま私の家に来て話を聞いてくれたり、音楽の話をしてくれました。叔父さんは音楽全般に詳しくて、特にJAZZが大好きでした。自宅には最高級のアンプとステレオがありました。私は音の良し悪しなど聞き分ける耳を持っていませんが、ちょうどその頃、JAZZが好きになり始めていた時期でもあったので、叔父さんのJAZZ談義に耳を傾けていました。話に登場する音楽プレイヤーの名前はほとんどが初耳であり、未知の世界を教えてもらいつつ、音楽が大好きな人または音楽評論家というのは、こういう人のことを言うのだなあと妙に感心したことを覚えています。

 

その叔父さんが癌で亡くなったのは、今から数年前のことでした。死期が近いことを誰にも知らせることなく亡くなってしまいましたので、私や母にとっては突然の死でした。新しい仕事に就き、良い報告とあの時、話を聞いてくれた感謝の気持ちを伝えられると思っていた矢先の出来事でした。叔父さんと話したのは、あのJAZZ談義が最後になってしまったのでした。どうしても叔父さんの元気で気風のよい姿しか思い浮かばず、彼が亡くなったということが不思議で仕方ありませんでしたが、そのことがかえって叔父さんらしいとも思えるのです。

 

しばらくしてから、叔父さんが亡くなった病院を訪ねました。ガン治療を専門にしている大きな病院でした。私の母の親友である彼の奥さんが、叔父さんにまつわる色々な思い出話を教えてくれつつ、病院の中を案内してくれました。中庭を散歩していたこと、終末期は最上階にあるホスピスに入ったこと。そして、最期の最期に息を引き取るときには、大好きなJAZZを聴きながら、安らかに旅立ったことを知りました。またもや叔父さんらしいなと思わせられ、私が死ぬときはどんな音楽を聴くのだろうかと思いを馳せました。あなたが最期に聴きたい音楽は何ですか?