「よく生き よく笑い よき死と出会う」

アルフォンス・デーケン先生の著作は以前に紹介したことがありますが、佐々木先生が授業の中でこちらの代表作を強く勧められていたので読んでみました。生い立ちから死生学を志した理由、そして生きること、死ぬことに対する思想まで、デーケン先生の哲学が余すところなく語られています。本のタイトルにもあるように、死と向き合うことで、よく生きることができる。よく生きるためには、よく笑うことが大切になる。私たち日本人が背を向けてきた死というテーマについて、デーケン先生は堂々と、誠実に語りかけてくれます。

 

かつて私は子どもの教育に携わっていたことがあります。本を読む授業の内容を決めるミーティングをしていたときに、「この本には死ぬという言葉が出てくるので好ましくないのではないか?」とあるスタッフが意見したことがありました。他の誰もそんなことを指摘したことがなかったので、彼の繊細さと気づきの深さに感心しつつ、私たちはどのようにして教育で死を扱っていくべきなのか話し合いました。

 

彼は死の存在を子どもたちからできるだけ遠ざけたいと考え、私はタブー視する必要はないと考えていました。どちらが正しいということではなく、実は私にとって初めて死について他人ときちんと話し合った機会でした。それぐらい、私たちは死について語り合うことはおろか、考えることさえもしてこなかったのです。

 

デーケン先生は幼少から少年時代を、第二次世界大戦、ナチの支配下という混乱の中、祖国ドイツで過ごしました。4歳で亡くなってしまった妹、自らも九死に一生を得た体験を経て、死というものの存在を小さな頃から身近に感じていました。平和な時代や国に生まれた日本の子どもたちが出来る限りまで死を避けて過ごすことができる一方、良きにせよ悪しきにせよ、デーケン少年は迫りくる死や孤独と向き合わなければならなかったのです。決して波乱万丈が良いとは思いませんが、少なくとも私たちはデーケン先生から死と生について学ぶところがあるのは確かでしょう。

 

私たちが人間らしく、より良く生きるためには、ユーモアが不可欠だとデーケン先生は説きます。

 

死とユーモアは、とても深い関係があります。不思議に思われるかもしれませんが、生きることと死ぬことが表裏一体の関係であるように、私たちが人間らしく、より良く生きていくためにはユーモアは不可欠です。(中略)外国のホスピスへ行くと、多くの日本人はびっくりします。それは、どこも共通して、末期患者のケアにあたる人たちが実に明るく、ユーモアに満ちているからです。ホスピスで交わされる会話もまた、快い笑いに満ちています。お互いに今、ここで出会っている時間を、精一杯楽しもうという気持ちから、自然に出てくる喜びと感謝が、ユーモアのある楽しい雰囲気を生むのでしょう。


人が人間らしく生きることをサポートする介護や医療の世界では、生と表裏一体の関係にある死も避けることはできません。だからこそ、よりユーモアが求められるのです。たとえ苦境にあっても、「にもかかわらず」笑うことが、真に深みのあるユーモアだとデーケン先生は語ります。喜びを2倍にし、悲しみを半分にするためにも、私たちは笑わなければならないのです。「何よりも笑顔が大切です」。自らも大病を克服された佐々木先生は、そう言って授業を締めくくります。