あいさつはコミュニケーションの基本です、と大人になってから誰かに教えてもらったとき、素直になるほどなあと思えました。皆さんにとっては当たり前のことかもしれませんが、私にとっては目からウロコでした。もちろん、あいさつをしていなかったというわけではありません(むしろあいさつだけはしていました)。それまでは、あいさつは礼儀として当たり前とか、あいさつをするとしっかりしていると見られるとか、あいさつをそういう風に考えていました。
実際にあいさつができないと、あいつは礼儀知らずだとか、大人になりきれていないとか陰口を叩かれますよね。たとえば、私の経験でいうと、部活で先輩にあいさつをしなかったと言われて、学校の周りを延々と走らされたこともありました(たぶん目が悪くて先輩を認識できなかったのだと思います)。そういった社会のプレッシャーからか、自分に子どもが生まれ、幼稚園に通うような年齢になると、あいさつができないと、うちの子は…と思ったり、あいさつができると妙に嬉しかったりします。あいさつをひとつの通過儀礼のようなものとして考えてしまっていたのでしょう。
でも、あいさつはコミュニケーションの基本と考えると、世界は全く違って見えてきます。あいさつはコミュニケーションの入り口であり、最も簡単なコミュニケーションの手段なのです。たとえ言葉が通じなくても(互いの言語が違っても)、ニコッと笑顔であいさつをすれば心が通い合うはずです。また、基本ができなければ応用に進めないように、あいさつがなければ対話や会話へとは進まないということでもあります。先輩にあいさつをしなくて怒られたのは、俺とコミュニケーションを取る気がないんだな!ということだったのでしょうし、自分の子どもがあいさつをしているのを見ると嬉しいのは、他者とコミュニケーションを取ることができそうだと感じるからでしょう。
そこで、教育者の立場にある人間は果たしてこのことを理解しているのかという疑問が立ち上がります。あいさつを礼儀であるとか、社会的通過儀礼として考えてしまうと、生徒→先生、目下の者→目上の者という図式ができあがります。まずは生徒や目下の者からあいさつをするのが当然だと考えるようになるのです。私が子どもの教育にたずさわっていたとき、たしかにそういう先生は結構いました。しっかりあいさつをしろ!とか言っておきながら、自分からはあいさつをしない。あいさつをしても、「オウ」とか「ウッス」とか意味不明の返しをして、まるでコミュニケーションが成り立っていない(笑)。
長らく引っ張ってきましたが、湘南ケアカレッジの「介護職員初任者研修」の中で、コミュニケーションの授業があります。コミュニケーションは、介護の世界で仕事をする上でとても大切なことです。利用者とのコミュニケーション、利用者の家族とのコミュニケーション、職員同士のコミュニケーション。利用者とのコミュニケーションひとつを取ってみても、認知症の方とのコミュニケーション、失語症の方とのコミュニケーション、聴覚障害のある方とのコミュニケーションなどなど。その方法は様々で学ぶべき必要があります。そして、コミュニケーションについて教えている以上、湘南ケアカレッジは自分たちからあいさつをするようにしています。なぜなら、それはコミュニケーションの基本であり、入り口だからです。