ビルマ難民を研究していた女子大学院生が、ある日突然、難病を発症してしまうところから物語は始まります。いや、物語とはいってもフィクションではなくノンフィクションなのですが、闘病記というよりは、本当に困っているひとが書いた一縷の物語なのです。なぜ壮絶なノンフィクションであるにもかかわらず、闘病記を感じさせないのかというと、著者のポップかつユーモア溢れる文体や研究者ゆえの俯瞰的な視点だけではなく、彼女が闘っているのが病気ではないからです。彼女が本当に闘っているのは、日本社会のシステムとであり、難病患者となった自分自身となのです。
著者の病名は「筋膜炎脂肪織炎症候群」。さらに「皮膚筋炎」を併発しています。免疫のシステムが暴走し、全身に炎症を起こす、自己免疫疾患と呼ばれるタイプの難病。全身のあらゆる組織に症状が及び、ステロイドや免疫抑制剤で病態を抑えるしかない、現段階では治療法が見つかっていない難病です。
今から10年ほど前、私は「難病患者等ホームヘルパー養成研修」という名前の研修を手がけたことがあります。医師や看護師、ソーシャルワーカーの方に講義を依頼するにあたって、さすがに難病について勉強したのですが、そのとき特定疾患と指定されている難病の多さやそれらの疾患についてほとんど知らなかったことに驚かされました。
130の疾患のうち、特定疾患治療研究事業対象疾患とされている56の疾患があります。130の疾患に含まれていない難病もありますし、特定疾患治療研究事業対象疾患に含まれない難病は制度を使って助成を受けることもできません。この本の著者の場合、「筋膜炎脂肪織炎症候群」ではなく、「皮膚筋炎」の方が国の「難病医療費等助成制度」に指定されているので、特定疾患の制度を使うことができたのです。
このようなあらゆる日本の社会福祉制度を、著者は「複雑怪奇なモンスター」と呼び、生き延びるために書類(ペーパー)と格闘することになるのです。
その国の本質というのは、弱者の姿にあらわれる。難病患者や病人にかぎった話ではない。あらゆる、弱い立場の姿に、あらわれる。ビルマ女子は、タイやビルマで、路上や難民キャンプで、苦しむ人たちの姿を見てきた。貧困の姿もまざまざと見てきた。しかしそれは、いくら旅を続けようが「他人事」でしかなかったのかもしれない。「これが、苦しむ、ってことか」。私ははじめて日本の、自らの本質と向き合った。
どれだけ身を投じて難民の研究をしていようと、他人事でしかなかったのかもしれないという懺悔の気持ち。自分が本当に難病を患い、弱者となって初めて、当事者として引き受けることができる。何とも皮肉な話ですが、それが真実なのだと思います。そして、制度というモンスターもペーパーの山も、当事者ではなく他人事として作られているのではないかという重要な指摘があると思います。
生まれてから死ぬまで長い人生の中で、人はずっと強者でいたり、あるいはずっと弱者であったりするわけではない。だからこそ、弱者になったときに初めて当事者として考えるのではなく、今困っている人たちがいることを当事者のように考えよう。そんなメッセージが痛快に伝わってくる1冊でした。