夏休みに田舎の岡山県に帰省し、あまりに暇だったので、私が小さかった頃のアルバムを引っ張り出してきてもらいました。表紙を開き、1ページずつめくってゆくと、そこには当時2、3歳の私と若かりし頃の両親や祖母、祖父、そして曾祖母がいました。あれから40年近くの歳月が流れ、祖父と曾祖母は亡くなり、祖母は認知症で施設に入所し、両親は還暦を迎え、私は家庭を持ち、もうすぐ7歳になる息子がいます。時代が一巡したというか、大きな時間の流れを感じざるを得ませんでした。元気だった祖母や曾祖母の姿を見て、私のルーツにふと思いを馳せたのでした。
私の曾祖母、というと堅苦しいので、ひいばあちゃん(実際にそう呼んでいました)は、100歳近くまで生きましたので、田舎に帰ると、一緒にいる時間を過ごすことができました。写真に映っているこの頃は、まだ目も見えて、自分で立って歩けたぐらいでしたが、私の物心がついたときには、ひいばあちゃんは、すでに目がほとんど見えず、1日の大半を寝てすごしていました。とはいっても、頭はしっかりしていたので、昔話をたくさんしてくれました。何度も話してくれて、今でも覚えているのが、女学校の授業で、丘の上に登り、竹やりで突く練習をしたという話。戦争どうこうではなく、ひいばあちゃんにとっての青春のワンシーンだったのだと思います。
ひいばあちゃんとの記憶は、その手の感触にあります。ひいばあちゃんの手を握りながら私は話をしました。手を握りながら話した方が気持ちが伝わりやすい、と小さいながらに感じていたのだと思います。ひいばあちゃんの手は冷たくて、それがとても気持ちよかった。そして、皮を引っ張るとそのままの形で残ってしまうような、長く生きた人の手でした。お盆や正月に田舎に帰ると、私は真っ先にひいばあちゃんの部屋に行きました。そうすると、ひとつの儀式のように、「よう帰ったなあ」と言いながら、ひいばあちゃんは私の顔を撫でてくれます。頭、額、まゆ毛、まぶた、鼻、耳、口と、目が見えない分、手で触って確かめるのです。くすぐったいような、嬉しいような感触でした。
ひいばあちゃんの手を引き、離れにある部屋の寝床から食卓へと連れてくるのが私の係でした。ご飯が準備できる10分ほど前には声を掛け、ゆっくりと起き上がってもらい、両手をつないで向き合います。ひいばあちゃんは前向きに、私は後ろ向きに、一歩一歩、足をするようにして進みます。長い廊下を渡り、ようやく食卓へと到着する頃には、ちょうどご飯が用意されているというわけです。まるで牛歩のような誘導でしたが、子どものゆったりと流れる時間と波長が合っていたのでしょうか。ひいばあちゃんのリズムに合わせて歩くことに、私は心地よさを感じていた気がします。
今になって思えば、ひいばあちゃんとのあらゆる思い出が私の原体験です。ひいばあちゃんのふっくらとした頬、ひんやりとした手の感触、繰り返し語られる昔話の数々。ひいばあちゃんの手を引いてゆっくり歩いたこと。まるで永遠を感じさせるような時の感覚。あの頃の私に何か特別なことができたわけではありませんし、誰かの役に立っているという高尚な気持ちがあったわけでもありません。ただ話を聞き、手を取って寄り添い、共に時間を生きることを私自身が好きだったのでしょう。これまで全く意識したことはありませんでしたが、私が介護・福祉の世界に入り、こうして学校を立ち上げたのは決して偶然ではなかったのです。