「明日の記憶」の堤幸彦監督の作品ということで、公開されてすぐに劇場まで観に行きました。今回は知的障害のある娘と人生を共に歩んできた漫画家の生きざまと親娘の絆について描いています。決して扱いやすいテーマではないと思いますが、あえてそこに取り組もうとする気概のようなものを感じざるをえません。若年性認知症の恐ろしさを世に知らしめた「明日の記憶」が今でも色褪せないように、「くちづけ」も何年先でも感じるところのある作品になるのかもしれません。
舞台は知的障害者の自立支援を目的とするグループホーム「ひまわり荘」。テンション高く、機関銃のようにしゃべりまくる自称「30を越えた良い男」うーやんを筆頭に、個性的な仲間たちが一緒に生活しています。今風に言うとシェアハウス(?)なのかもしれませんが、もちろんここひまわり荘には彼らの生活を支援してくれる、優しいお母さん代わりの施設長や毒舌でも愛情溢れるスタッフがいます。ある日、娘のマコを連れて、漫画家の愛情いっぽん(ペンネーム)さんがひまわり荘に住み込みでやってきたところから、喜劇のようで悲しい物語が始まります。
最後の結末は、ネタばれになるので詳しくは書きませんが、個人的にはやや極端すぎると思いました。たとえ実話を元にしていたとしても、もともとは舞台の脚本として書かれたものであり、舞台向けの結末シーンとして切り取られてしまっている感があります。そこに至るまでの、父親の葛藤や苦悩が2時間という映画の枠の中では細かく描かれていないからこそ、結論が唐突に感じてしまうのです。そういった意味では、知的障害のある子を残して親が先に死んでしまうという問題に対する、問題提起としては成立していたとしても、大きな誤解をも生んでしまう可能性もあるのではないでしょうか。
障害者だけではなく、高齢者の介護においても同じことが言えますが、介護者ひとりだけでは看きれないということです。自分が支援できなくなってしまえばそれでお終いというゼロサムではなく、もっと地域や親の会や様々なサービスを利用しながら、お互いに支え合って、考えて、課題を解決していかなければなりません。愛情いっぽんさんが最期に描いた漫画のエンディングが、娘のマコとうーやんが結婚し、それを自分が祝福しているというハッピーエンドだっただけに、そこに辿りつけなかった欠落の部分をもっと知りたかったという思いが残りました。
それでも、私が一番良いなと思う、心に残ったシーンは、愛情いっぽんさんが発したちょっとしたひと言に反応したうーやんが殴りかかったところです。娘のマコらが止めに入って、ようやく収まったのですが、めちゃくちゃになって、混乱の中、愛情いっぽんさんが言った「君たちといると、とても大変なんだけど、なぜだか笑っちゃうんだよなあ」というセリフがあります。この映画の世界観を象徴するような、喜劇のようで悲劇、悲劇のような喜劇という、人間の喜怒哀楽の感情が全て詰まっているようです。日常の些細なことにこだわる私たちの小さな生き方が、全て笑い流されてしまうような感覚ですね。ぜひ映画を観て、味わってみてください。
■「くちづけ」公式サイト